

南の森弐番街ホームページ
弐番街の一番さん
「道路わきにたたずむお地蔵さん」

市民フォトグラファーとしてもご活躍の赤羽さん。上は2026年3/17~25に志木市役所で開かれた「市民フォトグラファー写真展」に出展したもの。
\町内会員さんのリーク情報/
雨上がりのニュータウンの歩道でもがいていた虫を紙の上にそっと載せて植込みの土の所に戻していた赤羽さんを目撃しました!

第一回
二号棟在住
はじめ
赤羽 創さん
長野県の奥にある高天原という二千メートルぐらいの山でね、入山するだけで三日かかるようなところ。穂高の温泉から裏銀座を通って三俣蓮華を行くとずっと池や湿地帯が続いていて、その奥に高天原がある。水晶岳という稜線があり、水晶が転がっているんだ。水晶岳から落ちている
沢を渡っていると、ほとりで大きな水晶を見つけたりして…。
今まで登った中で印象的な山はあります
か?
別荘でみんなで呑んでね、今一番それが楽しい。
浮世の汚れを落としてくるって感じですね
東京の杉並区高井戸で小中を過ごし、その後調布に移って大学に通いました。子どものころは友達と草野球をしたり、飛び回るのが好きだったね。
中学ではサッカー、野球、ドッジボールとクラブ活動としては色々やったけど、高校で山岳部に入って、これは本格的に活動しました。トンボってあだ名で呼ばれてね、眼鏡をかけてたから。今でもその時の友達とは会っていて、最近も松原湖に別荘を持っている友達のところに泊まって、一時間半ぐらいの山に登ってきたよ。これがね、コー
スの選び方が悪くて、沢から尾根筋に登っていくのがすごく急で、前日の雨で滑るし、その後三日ぐらいは太ももがパンパンだった。
本日は、いろりば会会長である赤羽 創
(あかばね はじめ)さんの、普段の姿を、
また知られざる姿を掘り起こせたらいいな
と思っています。
まず、生い立ちから伺います。

双子って、一人が泣くともう一人も泣き出すんだよ。母親ひとりではとても済まない。生まれてすぐは大変だった。上もまだ五歳と四歳で毎日洗濯物の山。オムツなんて常時四十枚ぐらい干してた。双子が生まれたころ貸しオムツサービスができて、これは助かったね。その後一年経たないぐらいで紙オムツが発売された。
学費を払うのも大変で、でもうまいことに中高
大の入学が重ならなかった。家族の年表を作って計算したよ。
四人もお子さんがいたとは存じ上げません
でした。
この辺はまだ湿地でね、今後の発展性を考えて最初の分譲時に申し込んだけど、五十倍という倍率だった。
キャンセル待ちを申し込むのに、知り合いとかわるがわる四昼 夜並んだんだよ。五番目に並んで三つキャンセルが出て、運よく3DKの部屋に申し込めた。当時は妻と二人の子がいてちょうどいいと思ったんだけど、その後双子ができたから狭くて大変だった。
ニュータウンに住み始めたころはいかがで
したか?
親父が俳句をやってたけど、自分ではなかなか。
親父の詠んだ俳句に、
忘れたることも忘れし歳の秋
って句があってね、自分が歳をとるとこの句をしみじみと感じるね。
最後に一言お願い致します。
山に行って撮る写真に限らず、動いているものが面白い。人、昆虫、鳥…、景色も撮るけど、景色の中にそういうものが入っている写真が好きだね。
どんな被写体がお好きですか?
中学の修学旅行のときおもちゃみたいなカメラ
を親父にもらって、それが最初。高校の時にはオリンパスペンFという一眼レフカメラに広角と標準レンズをあわせて山にもっていった。会社に入ってからは、会社の倉庫にあったマミヤプレスというカメラを使わせてもらった。特殊なカメラでいろんな操作ができた。
ある写真家にそのカメラを見せたら、面白いカメラ持ってるねと使い方を教えてもらったんだ。
市民フォトグラファーとしてご活躍されているようですね。カメラとの出会いや、カメラを趣味としたことでこれまであったエピソードなどありますか?
赤羽さん写真館

彩とりどり

ボクのちょうちんどれかな?

「ちょー気持ちいい」
志木市いろは親水公園の岡の上の噴水は志木市民の真夏の憩いの場所。
